FORMER JAPANE ARMY FLIGHT JACKET
旧日本軍の服について、正直これまでそこまでじっくりと見たことはありませんでした。
というのも、「日本のもの」と聞いただけで、なぜか関心が薄れてしまうような、そんな不思議な感覚があったんですよね。
和装だったり、トンビコートのような時代の狭間を感じさせる服って、今の生活の中ではあまり見かけないし、日常着としても距離がある。
だから「日本の物=馴染みが薄い」という先入観が、無意識のうちにあったのかもしれません。
そんな中、今回この旧日本軍のジャケットに取り組む機会があって、自分の中の印象が少しずつ変わってきているのを感じています。
形としては、どちらかといえば洋服のカテゴリに入ると思います。ただ、縫製の細かい部分をじっと見ていくと、どこか日本的なエッセンスが感じられるような気もしていて(これは少し希望的観測かもしれませんが…)。
ちなみに旧日本軍には「空軍」という独立した組織は存在しておらず、陸軍・海軍それぞれに航空隊があったんですね。今回見ているジャケットはそのうち陸軍所属のものになります。
実は他の日本製のフライトジャケットも見たくなって探してみたのですが、これがなかなか見つからない。でも、今回の発見をきっかけに、旧日本軍の服ももっと深掘りしてみたいと思っています。
全て折り伏せ:

内側の仕様に関して、「ロック始末にするのか? それとも折り伏せ縫いにするのか?」というのは、個人的にもいつも興味があるポイントなんですよね。
着用時には見えない部分ではありますが、ここには意外と作り手の意思が宿っていたりする。
もちろん現実的には、当時のミシン設備の都合──要するに「何が使えたのか?」という制約が大きな判断材料だったとは思います。
けれど、それだけじゃない。
もしかすると、見えない内側であっても「美しく、そして丈夫に仕上げたい」という思いがあったのかもしれないな、なんて希望的な視点も交えつつ考えてみたくなるんですよね。
全体として、難しい仕様にチャレンジしている点は本当に素晴らしい。
ただし、縫製の美しさという観点では「完璧」とまでは言えない──そんな印象も否めません。
袖付けに関しても少し触れておくと、こちらはイセ込みを入れつつ、折り伏せ縫いで仕上げられています。
通常、折り伏せや巻き縫いの場合は、単なる縫製上の膨らみと判断して「イセ込み」とは明言しないことも多いのですが、今回はあえて「イセ込み」と書きました。
というのも、見た目から判断する限り、意図的に操作されている可能性もありそうだったからです。(ただし、生地の厚みや縫製のクセなどから、パターン上はイセを入れていない場合もあるので難しい判断ではあります)
また、注目したいのは、ロックミシンが一切使われていないという点。
釦ホールなど、一部の特殊な工程を除けば、全体的に本縫いのみで構成されていると見て良さそうです。
ちなみに、日本にロックミシンや巻き縫い用の専用ミシンがいつ頃入ってきたのかは明確な資料が少ないのですが、少なくとも戦前〜戦中にかけては、国内の工場にそういった特殊設備が普及していたとは考えにくいですよね
前端:

今回は前端、特に衿ぐり側のディテールに注目してみたいと思います。
ぱっと見ただけでも色々と読み取れる情報はあるのですが、ぜひ注目してほしいのは、衿とのつなぎ目にある「閂止め(かんぬきどめ)」。
用途としては、もちろん補強──これに尽きると思うのですが、いつも見慣れている現行の閂止めとは少し雰囲気が違うんですよね。
これ、何なんだろう?と気になってしまって、取引先の工場の方々にあちこち聞いて回ってみたんです。
そうしたら、昔のミシンには今とは違うタイプのものがいろいろと存在していたらしく、中には“下糸の無い閂止めミシン”なんてのもあったそうで。
私自身としては、これは手縫いの「本閂止め」なんじゃないかな、と思っていたのですが──
工場の方も言っていたように、手縫いにしては仕上がりがかなりきれいで、何より“玉止め”が見当たらないんですよね。
ちなみに、このジャケットの中には、現行のミシンによる閂止め(今と同じ見た目のもの)も使われていて、仕様としては混在している状態です。
とはいえ、わざわざミシンを使い分けてまでこうした仕様を取り入れるとはちょっと考えにくいので──やっぱり手縫いかな?というのが今のところの自分なりの結論です。
スペックスタンプ:

まず目に入るのが、サイズや製造年、検定所名などが記載されたスペックスタンプ。
この個体はスタンプが少し擦れていて読みづらいのですが、どうやら「昭和十九年製・大支検定」となっています。つまり、製造年は西暦1944年、検定所は大阪ですね。
この「昭和十九年」という年は、まさに戦況が悪化し始めた時期にあたります。
その影響もあってか、当時の軍需衣料には簡略化の波が押し寄せていたとも言われています。
釦の素材ひとつ取っても、金属から木材へと切り替えられていたり、閂止めや内側の折り伏せなどの仕様も混在していて、まさに過渡期らしいディテールが随所に見られるのが面白いところ。
また、興味深いのは、一部の製造が農村の女性たちによる「在宅縫製」によって担われていたという点。
全体を見渡すと、釦の素材は確かに変わってきているものの、その取り付け方はしっかりしており、機械による閂止めと手縫いの閂止めが同居していたりと、非常に“時代を物語る”仕様になっています。
それらすべてを踏まえて考えると、この一着はまさに“背景を感じさせるバランスの良い個体”──と言って差し支えないように思います。
前明き部分:


よく言われていることではあるのですが、「大戦モデルの縫製は良くない」。
これはもうヴィンテージ好きの間では半ば常識のようになっている話だと思います。
ただ、それにしても──ここまで乱れているとは思っていなかった、というのが正直な感想。
率直に言ってしまえば、私自身「大戦モデル、あまり好きじゃないかも」とすら感じてしまったくらいです。
今、自分が物づくりの現場に関わっている人間として見たときに、ここの縫製レベルを“良し”とするのはやっぱり難しい。
だけど──ビンテージを愛する人間としては、この“乱れ”こそが、当時の状況をありありと想像させてくれる要素でもあるわけで、ある意味でとても感慨深くもあるのです。
実物を手に取って見てみると、ステッチにはまったく均一性がなく、全体的にかなり粗い。
とにかく急いで縫ったのか? あるいは人手が足りず、縫製スキルの低い人が担当していたのか?
もしかしたら、精神的に落ち着いて作業できるような環境ではなかったのかもしれない。
実際、当時は熟練の縫製工が軍用品の製造に総動員されていたという話もよく耳にします。
とはいえ、それにしてもここまで乱れるだろうか……と考えてしまう。
仮にそうだったとしても、やはり当時の工場は「能力に見合わない量産」を求められていたのだろうし、
何より“戦時中”という、今の私たちには到底想像もつかないような特殊な状況が、そこには確かに存在していたんだろうなと思わされます。
左脇軍刀差し:


左脇に見られる、下までスッと貫通した玉縁仕様。
見た目こそポケットっぽいけれど、構造を見るとポケットではないことがすぐに分かります。
この貫通している穴、実は軍刀の吊り下げベルトを通すためのスリット。
軍刀そのものを直接差し込むのではなく、ベルトをこの穴に通すことで体にしっかりと固定されるように考えられています。
そうすることで、動いたときに刀が振れて邪魔になりにくいというわけですね。
さらに言えば、ジャケットを着たままでも抜刀ができるという仕様でもあります。
ただ……「これ、フライトジャケットに本当に必要だったのかな?」と疑問にも思ったので、少し調べてみました。
するといくつかの説があって、たとえば──
・もともと将校用だった設計が、そのまま現場で流用された
・飛行任務以外の場面で軍刀を携行する必要があった
・儀礼服的な意味合いでこの仕様が残されていた
などなど、諸説あるようです。
そしてこの仕様、縫製面から見てもなかなか面白い。
玉縁の奥、つまり穴の裏側には、口布の他に表地1枚、レザー2枚の構成。
そのうち1枚のレザーは表地と重ねて先に処理され、口の内側(中心側)を叩き付けて固定。
その後、もう1枚のレザーを重ね、脇側のみを叩き付けることで、結果的に“中心にぽっかりと空いた穴”が完成する──という、かなり丁寧かつ独特な仕様になっています。
ポケット:


大ぶりなポケットがドンと左右の胸にひとつずつ。ぱっと見はシンプルに見えるけど、このポケット、ちょっと変わった仕様をしています。
まず目を引くのがその開き口の位置。ポケットの口が中央側(ファスナー寄り)にあるため、左のポケットは右手で、右のポケットは左手でアクセスする形になります。
少し不自然に感じるかもしれませんが、これは装備品を着けたままでも使いやすいようにと考えられたもの。ミリタリーウェアでは意外とよくある仕様です。
でも、機能の話も面白いんだけど……どうしても気になってしまうのが仕様の細かいところ。
このポケット、ファスナーを隠すように上から貼られたデザインなんですが、ポケットのフラップをペロッとめくると、ファスナーの端がちらっと見える。
ここで「おっ」と思ったのが、そのファスナー端が、きっちりと表地でくるまれているという点。
ファスナーの端って、基本的に解れてくるような場所ではないので、必ずしも包む必要は無いはずなんです。
でも包んでいる。それが何か。
推測にはなるけれど、「ファスナーの端は見せないのが当時の常識だった」──そんな価値観が背景にあったのかもしれないし、単に製品としての美意識の表れだったのかもしれない。
簡素化が進んだとされる時代の中にあって、こうした“手のかけ方”には意識的なものを感じざるを得ません。
さらに言うと、ポケットの取り付けステッチにも無駄が無い。糸の継ぎ目が見られず、コの字型にスッと一発で縫われている。
これも今となっては美しさとして見えるけれど、当時としては「糸切機能の無いミシンでの効率的な縫い方」だったのかもしれません。
そんな背景ごと感じ取れるディテールこそが、Vintageウェアの醍醐味のひとつだと思っています。
芯材:


衿に芯が入っている──服づくりに関わっている人なら、それ自体は特別なことではないと感じるかもしれません。
でも、今回注目したいのは“芯がある”という事実ではなくて、“どんな芯が入っているのか”というところ。
表地に直接貼り付ける接着芯ではなく、異なる素材の布が、きちんと挟み込まれる形で使われていました。
この芯地の素材、麻、あるいは綿麻のものだと思われます。
調べていくと、この芯材の素材も時代によって少しずつ変化しているという話が出てきます。
当初は張りの強い麻素材が使われていたのが、次第に綿麻へと移行していった。理由としては、麻が当時、ロープなどの軍需資材としても使われるほど重要な資源だったため。
コストや供給の問題も含めて、安価で流通しやすい綿との混合にシフトしていったと考えられます。
芯とはまた別の話になりますが、補強目的で縫い込まれた綿テープ(小さい方の写真)はとても興味深い存在。
平織りの綿素材で、袖口やポケット口に見られました。端がよれたり、波打ったりしないようにするための仕様なのかもしれません。ファスナーの操作性を考えたうえでの補強だった可能性も。
見えない場所に、当たり前のように当たり前じゃない工夫が詰め込まれている。そんなディテールの積み重ねが、やっぱり面白いと思うのです。
袖:

この写真は、袖の“内袖側”を上にして撮ったもの。
パターンの知識がある人なら、見た瞬間に「あれ?」と違和感を覚えるかもしれません。
というのも、一般的に知られている袖の内側──つまり腕の付け根部分のカーブとは、まったく逆向きのカーブを描いているから。
でも、これは明らかに“意図された仕様”だと思います。
この逆カーブがもたらすのは、腕の可動域の拡張。腕を上げたときに、ジャケット全体が一緒に持ち上がってしまうのを防ぐ役割があります。
操縦桿を握りながら腕を上下・前後に動かすパイロットの動作に対応するための設計。
実は、後述するMA系ジャケットにも同様の仕様が見られました。
気が付いたときは、正直かなり興奮しました──まさか日本軍の設計思想と、後のアメリカ軍の仕様にこんな共通点があるなんて。
もちろん型そのものが違うため、“たまたまそう見えるだけ”という見方もできるとは思いますが、それでも山の頂点──カーブの一番高い位置やその角度──を比較してみると、日本軍の方が斜め前上方向への動きをより強く意識しているように感じます。
偶然か必然か。時代も国も違うけれど、目的に対して合理的な形が導かれていたのかもしれません。
袖 ②:


少し分かりづらい写真で申し訳ないのだけど、すでにパーツがバラされてしまっているため、撮り直しはできない。
向かって右下が前身頃、左上が後身頃、そして袖を“上げた状態”での写真になる。
注目したいのは、袖下──カマ底と呼ばれる部分。
袖側を見ると、ギャザーに近いような“イセ込み”が見られるのが分かるかもしれない。袖山(上部)にも同じようなイセが入っている。
これって、果たして“意図されたもの”なんだろうか? そんな疑問がある。
袖山側のイセ込みだけなら、ある程度は設計上の意図とも受け取れるし、他の服でもよく見る仕様ではある。
でも、今回は袖下──つまり下側にも同じようなイセがあることで、ちょっとした違和感を覚えた。
アームホールの縫製が“折り伏せ縫い”という仕様になっているため、袖と身頃それぞれのカーブの差で、裁ち端の長さにズレが生じるのは当然とも言える。
つまり、袖と身頃で違うカーブを合わせていく段階で、縫い方によってはこの“イセ込まれたような状態”が生まれる。
特に山なりのカーブが強い部分では、それが顕著に出る。
身頃側に縫い代が倒され、さらにそこにステッチが入っていることも──
これは“意図されたもの”なのか、それとも“結果としてそうなった”のか──その判断をさらに難しくしている要素のひとつ。
ただ、そういった細部の揺らぎが、この時代の縫製を読み解く面白さでもあると思っている。
全体:
今回改めて感じた結論は──
「ヴィンテージの日本製ウェアも、十分に魅力的だ」ということ。
縫製や仕様から感じ取れる“想像の余白”、
時代背景によって変化していく附属や縫製仕様。
私たちが日頃ヨーロッパやアメリカのヴィンテージウェアに感じている魅力の多くを、同じように感じることができた。
調べていく中では、多くの人の知見にも助けられた。現代には存在しないミシンの存在を知ることができたのも、大きな収穫のひとつ。
日本人の体格について、「当時は小柄だったからサイズ感も小さい」という話を聞いたことがある。
それが本当だとすれば、現代のスタイルに馴染みにくい面もあるかもしれない。
けれど──
「祖父母の家を整理していたら、箪笥の奥から出てきたんです」
そんな話も、もうそう遠くない未来には聞けなくなってしまうのかもしれない。
そう考えると、今のうちに少し無理をしてでも“掘り起こしておきたい”という衝動に駆られてしまう。
この先、何が見つかるか分からない。
だからこそ、今が面白い。
『FORMER JAPANE ARMY FLIGHT JACKET』
これにて。